2009/12/08

40分間耐久で思考をぶちまけ続けた日記

20分耐久日記というものを見つけた。ミームの死骸を待ちながら…というブログがあるのだけど
そこで見つけた試み。20分間ひたすら思考を垂れ流してブログを書くというもの。面白そうなので
やってみることにする。

(20分が来たところで面白くなってきていたので、勝手にルールを
 変更して最終的に40分耐久日記にした笑)


んーなんやろなー。今日はなにしたっけ。仕事して、夜から大学の後輩とお好み焼きを食べに行って、
帰ってきて上記のブログを見つけておもしれーなーこいつまだ23歳かよちくしょー
23歳のころオレはひたすら大学にもいかず寝てマンガ読んでコンビニいって寝て、
っていう活動しかしてなかったなープゲラwwwマンガオタクおつwwww

昨日のブログ はまたあいも変わらずキモいことしか書かなかったのだけど、このブログのRSSリーダー
の登録者って意外にいるのね。びっくりした。考えてみたらこのブログも相当昔からやってきてるからなー
そういう意味で、これって凄く自分のアセットになってるな、って思う。

最近大学の後輩で、学生を500人だったか1000人だったか集めてネットワークを築き、そのネット
ワークを使って仕事をしている人がいるのだけど、「ネットワーク」ってマジアセットなんだなぁ、って
いまさらながらに気づいたなぁ。ネットワークがあれば、そのターゲットに広告を流したい人もたくさん
いるし、そのターゲットが何を知りたがっているかを知りたい企業もたくさんあるし、ホント良く考えて
みたらひたすら有効活用しかできないアセットだなぁと。あ、情報も仕事もそうすると舞い込みまくって
くるよね。後誇りにもなるし。スゴス。

25歳になってやっと気づいた俺おつwwwww 別になー、いうて凡人なんだけど、この目立つ外見
(ハーフなので。東京ではクソなんの役にも立たないくらいに普通ですが)と意味のわからないリビドー
と人の為に尽くしたい!っていうこのマインドがあれば、もっとネットワーク作れたよなーって思う。
ホントもったいない。って今からでもできるんだけどね。それをやんない俺はタダのチキン。
飛べないブタはタダのブタだ!お前なんかブタにも満たないわ!
蛆虫!ゴミ虫!ほこり!中国の黄砂!

そうそうそう、そういう意味でもうひとつ、最近ホント本質をついてるよなーって思ったのが、
「決めないことがどれだけ状態の悪化を招いているかを己の身に叩き込め!」
というもの。

「決める」ということ、この重要性って、頭ではわかってるんだけど、意外にすんなり自分の腑には
落ちてなかった。だってこんなウダウダブログをもう何年も続けているくらいだし、ブログのタイトルは
「Struggling Life = もがき苦しみ続ける人生」だし、もう僕にとって「考える」ということは
ニアリーイコール「悩む」ということであり、それは僕にとってもはや遺伝子レベルでアイデンティティに
刻み込まれているのである。

そうだから、「決める」ことよりも「考える」ことが自分にとっては重要性を持ってきた。
だってそうじゃんね、決めるってことは「何かを捨てる」ってことだぜ?
充分に熟考を重ねていないにも関わらず、
「直感」だかなんだか知らないが、そんなもので大事なことを決めるって、なんてバカな恥知らずな
無知蒙昧、サルでしかなく人間の風上にも置けない行為なんだ!って心の底では思ってた。
日本以外の国に実際行ったこともないのに「日本万歳!」なんて言ってるアホは万死に値する。
いやそれは言いすぎか。そこまでは思ってないけどさ。

でも、最近考え方が変わったなー。例えば、好きな女の子がいたとする。心の底では「あーオレ
こいつ好きなんやろなー。」って感じてるとする。でも口をついて出てくるのは「いやーあいつは
ここが違うし。あいつはオレのことは別に好きじゃないし。ていうかあんま想像できねーし。それ以前に
オレは彼女にはこういう条件をもとめててうんぬんかんぬん…」とか言う。でも、それは
決めてないだけなんだな、って最近思う。この思考も極端だけどさ。

決めないこと、それは何も選ばず何も捨てず、ただ思索と検証のみに時間を費やすこと。
それは元来保守的な本能を持つ動物にとって、自分が安全でいられ、また安寧な時間を費やせる
ところなのだ。あーそっかー、僕は今までいつもそういわれたら、「いやそんなことねーよ!
だってこんなに悩み苦しんでるんだぜ!?」って反論してさも自分も正しいかのようなことを言ってきた
けれど、良く考えてみたらその「悩み苦しんでいる状態」すらまだ安寧に甘んじてる
レベルで、
やっぱり「何かを決める」という、その身を切られるような痛みから
逃げていただけなのかもしんない。


そそ、例えば付き合ってる女の子がもう好きじゃないんだけど、いまいち別れようといいだせない。
言い出せないうちに、「いや俺が悪いのかも」「いややっぱり今別れたら彼女に悪い」とか色々
考え始めて「よし、自分の中でもっかいがんばってみよう」とか思っちゃったりする。
でもそれは結局結果は目に見えていて、
同じところに戻ってくるのだ。だって決めていないんだもの。

それはある特定のメンタルモデルの循環、ある特定のモデルの行動構造/思考構造から抜け出せ
られていないことを意味する。例えば、毎度毎度毎週毎週飲みに行くたびに同じ話題になる。

「オレなんでモテねーんだろー」「オレモテるはずなんだけどなぜかモテないんだよなー」
だったとする(最近はもう諦めてその話題すら口に出さなくなった笑。なんとかなるやろ、的な)

ここには二つの致命的な欠陥がある。出ましたコンサルマインド。うぜー。
まずひとつは、自分自身の問題をとらえようとしていないところ。
愚痴を言って人に表層的なアドバイスをもらうことで自身を「何かした気」にさせ、満足する。
そして自分が「モテない真の理由」の探求、その構造的な欠陥、どのようなループに
陥っているか
という全体像を見ずに済ませようとしている。

そしてもうひとつは「決めていない」。仮に自分がどのような状況に陥っており、自分の抱えるその問題を
どうすれば解決できるのかを前述した思考方法(=これをシステムシンキングというらしいです。
最近会社の研修で学びましたw。ていうか会社の研修で学ぶって。だせー。こんぐらいオレなら
ちゃんと自分で学んどいて、ファシリテーターに「え、それ知ってますがなにか。」くらいいえるように
なっとけよな。情けない。ガンバロー。はぁ。)により、どのようなアクションをとればいいかが
わかっていたとしよう。

それでも、やっぱり人の多くは(ていうかオレは)「決めない」ことにより安寧の地へ
逃げ込むことを
選択する。
何かを決めるということは、「何かを捨てる」ということでもあるが
「何かを選ぶ」ということでもあるのだ。何かを選ばない限り、絶対に物事が前進することはない。
アクションに落とさないと何も変わらない、という陳腐なメッセージ、というか
僕が自信を持って俺はやってるぜー!といえないようなことについてここで言及するつもりはない。

というかこれもできてないけどさ、そうではなく、その前段階の「決める」というプロセス
それすら放棄、
すなわちその痛みすら自身があがなえないようであれば、
その先の「行動することによる痛み」に対して
それをやらない理由をうだうだと
弁解するなんてもうなんというか
片腹痛い。ゴミ。ブタ。屠殺されてしまえ。(弱気)

とあえて厳しい言葉を使って自分自身を奮い立たせているのだけど。というこの自分自身を
奮い立たせようとしている時点で、やっぱり僕もいろいろ「決める」ことができていないんだよなー。
ちーん。クズフリッツ。同居人の口癖を借りるとするならば、「寝て死ね。」

でかいことは決めた。でも細かいことはぜんぜんやっぱり「悩む」というメンタルモデルから
抜け出せていない。はぁー。でも、「決める」。これを意識して、自分が「あ、決めていないな。」と
感じられるように自らをきちんと観察しよう。

今でちょうど20分。
いいや、まだまだかけそうなので、もうあと20分やろう。思ってたより20分で
かける分量って少ないなー。40分思考だらだらブログになりました笑。

んーと。自分のことに言及するのはもういいや。あ、でも後もうひとつだけ、うちの会社の人事の
トップがとんでもなくコーチングやらダイアローグやらに詳しいというかキモスwwwステキwww
レベルなんだけど、その人が「自己変容を起こしていくには」といった内容で僕に話してくれた
ことのうちのひとつに、

「人が変わるプロセス。まずは自身を見る。そして自身を理解する。そして自身を真の意味で
許容する。ここが一番難しい。頭で理解するのではなく、心底腑に落ちるレベルまで自身を
見つめなおし、自身を許容すること。それができれば、自然と変化を恐れなくなる」

とか言ってたなー。それであってたっけ。そんな感じだった。そういう意味で言うと、
自身をまずは観察し、自身が「あ、今決めれてないな。」と常に
その都度感じられるようになれば、次のステップだと思うんだよなー。
無理に自身を変化させようとしても、結局リバウンドのように戻ってくるのだ。段階を踏まないと
いけない。心理学的にもそうじゃんね。そこに精神論はいらない。

しかし、なんでこんなに「変化」を求めているにも関わらず自己変容を起こせてないのか。
きもいなー。この間、映画「精神」を見たゼ! というエントリで書いたけど、結局そういうのって
実は表層も深奥もなく、自己変容などあるようでない?むしろ意識してしまうことによる
意識の変革の難しさが沸き起こってくるのではなかろーか。
対象を観察することにより対象の質そのものが変化してしまうことにより、
対象を真の意味で観察することは不可能である、っていう理論を昔、
京極夏彦の小説「姑獲鳥の夏」で読んだけど、それに近い感じ。

うーん。うだうだ言いすぎ。閑話休題。(←これかんわきゅうだい、って書くのね。)

うーん。何の話をしよう。あぁ、でもやっぱり僕はどっちかというと思考を拡散させていく
タイプでは
なくて、思考をどんどん狭く深く突き詰めていくタイプ
なんだなー。
ってそれ、ホントやだ。

同居人とかを見てると、思考がどんどんどんどん拡散していく。アイデアがぽんぽんぽんぽん出てくる。
もちろんそれひとつひとつは取るにたらないものなんだけど、そのアィデアがどんどんつながり
あって、最終的には凄くでかい構想になってて。そう考えるとおいらは構想を描くのは不得手なんだ
よなー。あれ、でもそうでもないか。望郷とかやってたときはすげーどんどんアィデアが拡散してた
しなー。

そう考えると、僕がこのブログをいつも「思考を深めながら書いてきた」というところにこのエントリの
形は起因しているのかもしれまへんな。マーシャル・マクルーハン(だっけ?)、メディアの神様と
言われている人が「メディアはメッセージである(medium is the message)」とか
言ってたっけ。要するにメディアが発信するメッセージはそのメディアそのものに規定されるというお話。

つまり僕にとってこのブログは思考を深めるツールであるから、それが長年を経るうちに、それが
僕にとってのメディアそのものとなり、つまり僕がこのブログを書いているこの画面を見ると、
自動的に「何らかのテーマを見つけ→それをひたすら深掘りしていく」というマインドセットが自動的に
オン、になるとそういうわけ。

いいや。どうでもいい。書いてて思ったけど、俺ホンマ自分のこと考えるの好きすぎ。
このブログの大半そうやし。なんで俺はこんなに俺が好きなんやろう。しかも爽やかではなく、
もうじめじめっとしたひねくれたもう気持ち悪いレベルで。

うーん、たぶん誰もおいらを好きになってくんないから(と思ってるから)自分で自分を好きに
なるしかなかったんだよなー。なんという解決策wwwwオレ神wwww。

ナゼモテないのか。それについて話そうか。いや、いいやw。
たぶん原因は「自分を見たくない」「決めていない」のふたつにしかなさそうなので笑。

うーん。こうして書いてるとくだらなくなってきたなー。何の話?何の話をしよう?
ここに来て頭がまっしろになった。

あー。色々浮かんでは消えるんだけど、せっかくのこの時間もっと「何かについて」考えたいなー。
やっぱり考えるのが好き。これは変わらないんだなー。そう思ってる時点で。

そう考えると(考えると考えると考えると…というエコー)やっぱりおいらにとってのクリティカル
ポイントは「決める」「動く」このふたつ。

うん。25歳の抱負をそういや決めてなかった。決める。動く。これだなー。
合コンの場で「誰か話しかけてきてくんねーかなー」とか、「いつかこうなんねーかなー」とか
「将来こんなことしてーなー」とか「週末あいつとしゃべりてーなー」とか「あ、ネットのこの人
あってみたいなー」とか。「あったらこんな話してーなー」とかまで考えてるのに
コンタクトしてないっていうwwww
どんだけ妄想やねんwww。ていうか草食系男子のまさにテンプレート笑。

辞書があるとしたら、「フリッツ(ふりっつ) 草食系男子のことを指す」と書いててもおかしくないwww

うん。そうしよう。妄想したら、それはちっちゃなステップでいいから実行に移す。
そこからどんどんやってく。意外に人って怖くないもんだからねー。

しかし大学一年のときはあんなに人に会いまくってたのに、なんでそうしなくなっちゃったんだろう。
お、このテーマおもしろいかもよ。動くことに重要性を感じてたのかなぁ?うーん、ちょっと違う気もする。
動くことしかできなかった、動くことしか選択しなかった、と言おうか。

うん、そういう意味ではやっぱ「思考が肥大化」してる。これ間違いねー。今度から、
妄想をはじめたら「動く」。あの人と話してみたいと思ったら、メールする。
断られたところで、
それがどうした?
うーん今ならそう思える。不思議。一時の興奮状態かぁ。

よし。「決めた」。明日から一日一人ずつ「こいつおもしろそー」って思った人にメールする。
そして最低でもだいたい週に二回は人と会う。コミットしよう。

できなかったらもう明確に「やっぱり決めれてないじゃん。」というメッセージが自分に突き刺さるからね。
そういう意味ではここで決めたことはやっていかないと自分としてももう情けなさ過ぎる。

というところで後五分で四十分が立つ。思考が限定されたからコミットできた、という意味では
今度からは「五分考えて迷ったらそのとき最上の選択肢に「決める」」という感じでルール作った
ほうがいいかもね。そうしないと翌日も翌々日もその翌日もまた妄想して考えて、
そのあげく
それを放棄してしまうから笑。

ある程度考えれば、もう結論は出ているのだ。おそらく今考えようが、50日後に考えようが
選ぶ選択肢は変わらない。思考型人間には痛いメッセージだが、25年間悩み続けた僕の
暫定的な結論はそれだ。

結論はあなたの心の中で出ている。後は「どっちに決めるか」「決めずにまた
うだうだ悩むか」
なのだ。選択にリスクも良い悪いも正しい正しくないもない。
Aに転ぼうが、Bに転ぼうが、
本当に腑に落ちる形で「決めれば」それで
さっぱり生きられるのだ。どっちを恐れるべき、なんてない。
人の生き方なぞ
千差万別なのだから。ただ、決めずにだらだらと同じ場所をループし続ける
こと
こそが、最もリスクを最後に爆発させてしまうものであり、
恐れるべきことであり、忌避しなければ
ならないものなのだろう。

(と自分を鼓舞してみるテスト。)


しゅーりょー!!!!!!

** その後、誤字脱字、特に強く感じたところ、リンク先などを修正し、アップロードしました。 **

2009/12/06

激辛カレーと、高級バーと、外資系で仕事をして自分が人生について感じたことのまとめ。



どーも。かなり久しぶりにブログを書きます。調べてみたら、意外に多くの皆様が
RSSフィーダーとかに登録してくれてて、わお、びっくり、な12月6日です。こんばんは。
みんな何を求めてこのブログを読むんだろう。人生悩み続ける男のうだうだっぷり!?笑。
まぁ、ご他聞(こう書くんやね、はじめて知った)にもれず、それを今から書くんだけど。

今日は三本立て。

1. かなり自慢したいカレーを作った。
2. グランハイアット「マデュロ」に旧友と行って来た。
3. 人生の最近考えたことについて、以下5つ。
  A** 自分に正直であること、自分の目を自らくもらせないこと。**
  B** 人生をリセットすること。そこまではいかなくとも、余計なものを捨てること。 **
  C** 僕が「面白い人、ずっとつきあっていきたい」と思う人はどんな人?**
  D** 人生、どう転んだって人生続くし、案外悪くないのでわ?**

  E** あたりまえだけど、人生は一回しかない **


パート3 については、かなりうだうだ長く書くから、めんどくさい人は
「赤字=テーマ」
「青字=結論」
だから飛ばし読みしてくれても結構w。

1.かなり自慢したいカレーを作った。

先日、かなり凝りに凝ったカレーを作りました。目標は、大学時代ハマってたココイチのカレー。
結論からいうと、かなり近いものを作れました。しあわせ。

カレーの作り方:
レシピ:たまねぎみじんぎり、市販の辛口カレー粉、
     ドイツ風トンカツ(シュニッツェル、といいます)にんじん、じゃがいも
味付け:ガラムマサラ・オレガノ・クミンシード・ブラックペッパーをとにかくたくさんいれる。
     あとタカノツメとホンダシを少々。

これだけで普通のカレーとかなり味が変わってかなり美味しくなります。オススメ。オヌヌメ。
リクエストがあれば作りますよ笑、かなりおいしくできました。同居人も大絶賛。わほーい。
いつか40種類くらいのスパイス(インドではそうだとか)を使ってカレー作ってみたいな…

2.グランハイアットのバー「マデュロ」に旧友と行って来た。


今日は中学時代からの旧友および大学時代からの友人とごはん。久しぶりにしっかり金使った笑。
その旧友がごはんにはしっかりお金を使うグルメーな人で、六本木でもつ鍋を食べたあと、
グランハイアットのバー「マデュロ」に行こうという話になった。高いだろうから乗り気じゃなかった
んだけど、結論からいうととてもステキでした。

品のいいサービスに、にぎやかだが落ち着いてる店内に、とてもステキなジャズの生演奏に、
一杯 1800yen- のモヒートに 一本 2000yen- のキューバシガー。いやー、贅沢した(貧乏性・・・笑)。
最後は "Fly me to the Moon" 歌ってくれたし。ステキでした。

あーいうブルジョワーなところって、凄く好きだけど、でもそんなことしてる自分が凄く嫌いで、
バカにしてたけど、でもやっぱり本当にたまーに行くと、すごく贅沢ですごく気持ちがいいね。
見直した。半年に一回くらいは、大切な友人とかと行きたいな。とてもステキな時間をすごせました。
オススメ。オヌヌメ。

3. んで。ちょっと今日は旅行中毒.comの更新はおやすみ。せっかくゆっくり一人で過ごしてるので。
人生について考えた。たぶん大小含めると数千回目笑。それでこのレベルか。ちーん。

最近、僕にメールを送ってくれたある人の言葉がトリガーになったのだけど。
「自分がそうしたいと思ったことを実行に移せる人は少数派だし、 自分のやりたいことと
 向き合わずに、自分が望んだ人生ではないことに対して言い訳をして過ごしてしまう人が
 大多数だと思います。」というもの。

そっから、自分の人生について考えてみた。なんかちょっと前から、いくつかの軸が
自分の中でできてるので、それを整理の意味でも書いてみよう。

A** 自分に正直であること、自分の目を自らくもらせないこと。**

ってかねー!ぶっちゃけねー!最近面白くないんですよ!実際!

あのね、僕考えてみたんですけど、いわゆる外資系マーケターやらビジネスマンやらのブログで、
なんでいつも仕事がつらい、つらいけど楽しい、みたいな、結局ミーハーな学生に無駄に夢を
見させるブログしか見当たらないのか。・・・うーん、なんでなんだろうね。

それはね、みんな(って誰なのか、という議論はおいておいて)正直じゃないんじゃないか、と。
まぁそんな愚痴ってばかりのブログにはアクセスもあつまんないかw

でもね、結局、大多数の人は本当に楽しんでるんだろうけど、そればっかりとは思えない。
なんで「オレは失敗した。ちくしょー。みんな、就職なんてやめちまいな!」みたいなブログが
外資系エリート(笑)さんのブログに見当たらないのか。

一部は本当に楽しんでるんだろうけど、一部は結局、自分をごまかしてるのではないだろーか。
正直に「仕事がつまらない。辞めたい。」っていうのを自分のプライドが許さない的な。

僕も正直そのループで、つらくて、しんどくて、でももちろんかなり楽しいこともあったし、
そのままマーケッター(笑)として生きていく道もそんなに悪いものには見えなかったし、
それはそれで自分のM魂を満足させながら充分に楽しく人生を生きれたと思う。
だからなかなか、「仕事つまんねーよ!?」って人に言えなかった。自分で認めきれなかった。

でも。。。やっぱり「自分の人生を生きている」感じはしなかった。どこか頭の一部で他人事で、
それはおそらく「他の部署の責任分野になんでもかんでも首を突っ込めるわけではないし、
そうしてはいけない」という意識がそうさせているんだと思う。

それを素直に認められるようになったのはホント最近。一年半もかかっちまったわー。

結局、わがままなんだと思う。なんでも自分でやらないと気がすまない、的な。
「自分の城」を持てないもどかしさがある。理想は、やりたいときにやりたいことを煩雑な上司やその上や
マネジメントの了解手続きを経ずに、ぱっと直感で動けること。もちろん、失敗はするだろうけど、
失敗したら反省してまたやる。それがやりたいんやろなー。

うーん、でも大事なのはこれはあくまで僕の perspective で、僕の同僚は本気でマーケティングを
楽しんでるな、って思えるし(6人の同期の中で親友、と呼べる存在ができたのはステキでした。)、
それはそれでホントにステキだと思う。だから、無駄に失望をさせる必要なんかないんだけど。
でもこんなややこしいブログを読んでくれてる人は皆頭がいいだろうし、
あくまで一意見としてきちんと情報処理してくれるとは思ってるけど。

まぁ、客観的に見たら「うだうだいってねーで自分でその環境を変えろよ。自分が動けよ。」って
言われるのもわかるんだけどね。でも、そのモチベーションすら沸かない笑。
でも、なんであそこまで優秀な人がたくさん揃っているにもかかわらず、組織になると
つまんなくなるんだろー。不思議だなー。

(といいながらビール四本目。リアルに最近アルコール中毒笑。)
だいぶ酔っ払った頭でもう自分のためだけに書いてますが。

ま、わかんね。僕はただ、つまらないときはつまらない。おもしろいときはおもしろい。
誰に対してもそういい続けられる正直な人間でありたい、そう思うだけなんだけど。

それが「情けない男!」っていわれるようなものだったとしてもいいやんか!なぁ!?
「正直な男!」なのだ笑。そして、もちろんその発言が自分の本当の気持ちなのか
をしっかりと噛み締め、発言と内心の声がずれていたら、少しずつ発言をそっちに
あわせていく。そうすれば自然とアクションを取らざるを得なくなる。
それが大事。
だと僕は思う。

・・・僕は誰を相手に戦ってるんだろうww 相変わらず厨二病だなぁwww

B** 人生をリセットすること。そこまではいかなくとも、余計なものを捨てること。 **

おかげさまで、先日25歳の誕生日を迎えました。まだ25歳。もう25歳。
25年間、積み上げてきたものがあります。それは本当に大事。四本目飲んでるからキモいこと
言いますが笑、本当にいろいろな人に支えられて、本当に涙が出るくらいステキな経験をしてきました。

でも。でも。そんな中で、やっぱりどこかで澱がたまってきてるんよね。

なんつーかなー。岡本太郎の本にも書いてましたが、
「人生は積みますものではなく、積み減らすもの。」と最近ホント思います。

人生は、簡単にはリセットできない。でも、プライドや、羞恥心や、妬みや嫉み、恐怖や執着心、驕り、
それらを捨てられたらどんなにいいだろう、と最近思う。そんな意味でも、近い将来、全部を
捨てて「リボーン!フリッツ!(笑)」なんて宣言しながらもっぺんやりなおしたいな、と思ってます。

個人的には、自分の中のプライドが一番うぜーなー。なんでクールにあろうとするのか。
なんて人に受け入れられようと、普通にふるまうのか。合コンの場だと、僕は相当つまんない人間笑。
気に入った女の子には嫌われようがアプローチできない自分が嫌いだし、
人に対抗しようとしちゃう自分は嫌いだ(後者はかなり殺せたけど)

例えば、僕は社内でのあだ名が「ニーチェ。悩める人。」なんですが、それを気持ちいいと
思ってる自分はホントどうしようもないと思う。別に、こうやって色々悩んでると、少しずつ
思考を重ねて前に進めてる気がして、好きなんだけど、やっぱりこのメンタルモデルはすごく沢山の
弊害も生んでいます。もういい加減うんざりして、別の人に生まれ変わりたいって思う。
それが、人生をリセットするっていう言葉の意味。マインドセットのリセット。

それは別に、自分を前に進めてくれた人にとって失礼な言葉ではないはずで、それはただ
自分の中でたまってきた澱を一度全部捨てて、やりなおしたいというそういう意味。

社内の人事に、コーチングやダイアローグのプロが旦那さんの人がいて、その人と話すとホント
面白いんだが、やっぱり「そのメンタルモデルはあなたはもう捨てたいと思っていますね。」といわれた。
もちろん、捨てるのは簡単じゃない。でも、少しずつ置き換えていかないといけない。

でも、やっぱり環境を変えないとこういうのはなかなかうまくいかないのだ。環境を変えてもうまくいく
可能性は未知だけど、どこかでドラスティックに自分の人生を変えないと、いつまで
たっても僕は僕のままでしかいられないと思う。
以前、僕の尊敬する先輩が、
「やっぱ、人生チートしないとこれ以上はいけないな、ってラインが見えちゃうよね。だからオレは
チートすることにしたよ。」といってた。そんな感覚が最近はある。

C** 僕が「面白い人、ずっとつきあっていきたい」と思う人はどんな人?**

別に頼んでねーし!って声が聞こえてきそうですけど笑。なんとなく今日思ったこと。

人って案外冷たいもんで、楽しく喋ってても、別れた瞬間から別のことを話し始める、考え始める。
もうぜんぜん話題は別。意識も次のことに向かってる。電車の中で、あ、この広告おもしれーなー、
とか、あの子かわいいなー、とか、えーと明日の予定は・・・とか。

でも、僕の中である特定の人と会った後には、完全にその人が余韻として自分の中にそのまま残る。
その感覚が好きだ。その人の言った言葉や見てる世界が自分の中でしばらくこだまする。


そのこだまを味わえば味わうほど、自分の見てる世界が違ったものに見える。

それがステキなアート感覚を持った人であれば、その人の目(になったつもりで)改めて世界を
見回したり、考えたりする。とても世界が綺麗に見えたりする。

それがドラマチックな人生を送っている人であれば、その人と自分の違い、について色々
考えたりする。まわりの人をみわたして、人々の人生について思いをはせたりする。
今歩いている夜道がドラマのワンシーンだったら、とか考えたりする。

それがとても頭のいい人であれば、自分もそういう部分での頭のスイッチが入って、おっしゃ、
スマートにやるとしたらどうやってやったろーか。もっとでかくでかく枠組みを作るには?とか
考えたりする。

だからそういう人と会った後は、その人が自分の中でこだましている時間を
もっと大切にしたくて、
ひとりになりたくなる。そのときはすんげー面白い。
夜道を歩きたくなる。


そういう人が、自分にとって「面白い人」なんだろうなーと思う。

(うーん、その共通点てなんなんだろ。ちょっとタバコ吸って考えてきます。)
考えた!

1.哲学を持ってる人(哲学を持たない、という哲学でもいい。)
2.その哲学に常に磨きをかけている人
3.1,2の重要性をわかっているから、人の哲学を否定しない人
4.2を達成するために、人の哲学に俄然興味を示す人

こんな感じだろーか。プラス、厨二病的だけれど、1-4を行い続けるために、「世間」という
ゴーストロールに対して、「クソ食らえ!」っていう態度があればなおステキ、だろうか。

まぁこれを全部僕ができてるか、っつーと怪しいけれど、主観的には、かなり努力してるはず。

こういうことをしている人と出会えると、本当に人生に感謝する(ええ、酔ってますw)。

まぁでも簡単にいうと、飲み会で「好きなタイプは?」と聞かれたとき、「ひねくれた人!」って
答えてるんだけど、そーゆーことだろうか。

D** 人生、どう転んだって人生続くし、案外悪くないのでわ?**

最近、ふっきれたことがある。それは、人生どーなろうが、そんなに悪くないんじゃね?ってこと。
辞めたいなら、辞めたらいいんじゃね?怖い?不幸になりそう?そうでもなくね?ってこと。

だって、フリーターのお兄ちゃん見てても、エリートのお兄ちゃんみてても、そんなに笑顔の
回数かわんなそうだもん。なんか、ずっと、フリーターになったら終わりだなーって思ってたけど、
別に悪くないんではなかろーか。まぁ、モテなくなるかもしんないけど、
僕の場合は金持ってようが持ってまいがモテないので、いいのだw。

ってそうじゃなくて、フリーターだろうがエリートだろうが、
結局、どーやったって人生はそれなりに続くのだ。この言葉がすげーしっくりくる。
どーやったって、笑い、泣き、怒り、幸せに感じる瞬間、不幸せに感じる回数は
たいして変わんないのだ。
(と最近思ってる。)

こういう風に自分の中で思えた瞬間、今僕が感じてるリスクはリスクじゃなくなった。
ただの、変化する事実でしかなくなった。むしろ、怖いのは先が見えることだ。
すなわちー(次に続く)

E** あたりまえだけど、人生は一回しかない **

あたりまえだけど、人生は一回しかない。いやホントに。みんなもっとこの事実を
噛み締めるべきだと思う。このあまりにもベタな言葉が、自分のなかでいったい
どういう意味を持つのか、きっちり考える時間を持つべきだと思う。えぇ、僕もそうだけど。

やりたいことがあるんだったら、準備期間なんかぶっとばせ。そう最近は思う。

就職した企業、および僕の友人に人脈がとてつもなくある人が数人いるから、
その関係で良くOB訪問を受ける。明日も慶応の子と会う。この一年で15人くらいは会っただろーか。

その子たちの多くは、夢を持っている。例えば、「将来アパレル企業をたちあげたいんです!」
という人がいたとする。

Me : へー!おもしろそうじゃん!で、どこ行きたいの!?
Him : やっぱり、リーダーシップを学ぶためにも、御社がいいです!
Me : ふーん。あのさ、リーダーシップってなに?
Him : それは、人を惹きつける力、人を巻き込む力、人を動かす力だと思います!
Me : はぁ。で、それが起業とどう関係するの?
Him : やっぱり、起業にはリーダーシップが必要で…
Me : ていうか、アパレル企業のたちあげだったら、アパレル企業に行った方がはやくない?
    そこのリーダーシップを身に着ければいいじゃん。
    ていうか、起業のために発揮されなければいけないリーダーシップと
    大企業で求められるリーダーシップは違うと思うよ。
    いったことないからわかんないけど、僕は今学んでることが起業に役立つとは思ってないなぁ。
Him : いえ、そこは少し回り道してでも、本当のリーダーシップを学ぶためには・・・

という感じの会話がよくある。もちろん僕の独断と偏見だが、そして僕も実際にそうだったんだけど、
夢を持ちつつ、でもその夢を信じきれない人は、大企業に就職してでも
夢をかなえられる
理由を必死で探して、大企業に就職したい自分を
「夢のためにはこれが必要なんだ!」って納得させたがっているように見える。
僕は本当に夢を叶えたいんだったら(上記の例で言えば)大企業に就職してもなんの意味もないと思う。

ちょっと話がずれたけど、人生一回しかないのだ。回り道なんかしてらんない。
つまらないと思ったら、そしてその環境を自分が良くしていく!という
モチベーションすらわかないのなら、さっさと環境を
変えるべきなのだ、(と思う)。

実際僕は大学時代、ずっとそうしてきたし、
それを後悔していないし、それで後ろ指を指されることだってあまりなかった。
(と、僕が思ってるだけかもしれないけれど)

そ。そんなわけで、やりたいことがあるんだったら、今この状況にしがみついてる本当の理由が、
ミーハー心やプライド、自分のものですらない信念からなりたっていないか、考えてみるべきなのでは
なかろーか。そして、そのミーハー心やプライドを、一回しかない人生の中で、そこまで守り通すべき
ものなのかどーかを。

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ま、上に書いたことは、ぜーんぶ、自分自身にとっての自戒のようなものだけど。
誰に向けて書いたものでもない。けど、文句があればばっちこーい。

上に書いたことを全部まとめて、自分なりの軸にしていきたいなーって思う。それはまた次回。
やっぱ社会人2年目も年末を迎え、この2年、いろいろ考えさせられたなー。あらためて。

さて、明日はがんばるぞー。

2009/11/27

新プロジェクト、始動

ごぶさたしてます。忙しいス。仕事は仕事で頑張っております。
が、それもアレなので、そろそろ夢に向けて始動しはじめました。

実は、前々から、日本の若者(僕含め、周り含め)にもっと世界の
いろんなオモシロい価値観を紹介することを仕事をしたいなと思っていました。

つーわけで、そんなウェブサイトを作りました。夢の第一歩。

例えば、アメリカの砂漠でやっている、僕らが持ってる価値観を全部ふっとばしてくれるオマツリ。
例えば、世界中を踊るだけの動画で全世界からアクセスを集めたトンデモバックパッカー。
例えば、カナダでアボリジニの楽器を演奏しながら、月収百万円を稼ぐ日本人旅行者。

そんな人たち、そんなイベント、そんな文化を感じることで、今自分達が持っている価値観を
もっともっと揺さぶって、もっともっと広い世界を知り、新しい自分を見つけてほしい。
(もちろん、やってる過程で僕も「うわすげー!きゃー!わー!」と騒いでるわけですが)

そう僕は思ってて。今回はその夢のほんの第一歩。

旅行中毒.com




関西から東京に出てきて、バックパック中毒仲間4人でシェアハウスを始めました。
その4人でお届けするマニアックバックパック・世界一周総合情報サイト、という位置づけです。

いっちょまえに夢を語るとすれば、ここから、どんどん僕の友達とか知り合いとかそのまた先の人が
海外のいろいろな価値観をオモシロいと思ってもらって、それを実際に体験してしまう、
てっとりばやくいえば世界旅行にでかけてしまって、そして何がしかを日本に持ち帰ってくる。
そして、日本がもっとグチャグチャになって、もっとオモシロくなる。

そんな第一歩。

他にも、バックパッカーの為の旅ガイドを準備編、最中編、帰国編に分けて紹介。

後、個人的にこれできたらオモシロいなー!と思ってるのが、
・ 世界193カ国の写真集
・ 世界遺産写真集
これはなかなかゆっくりなんだけど…

旅をする前の人も、旅をしている人も、旅から帰ってきた人も楽しめるサイトを目指して。

是非見ていってくれると嬉しいですー。

2009/08/02

映画「精神」を見たゼ!

東京では一館しかやってない映画「精神」を見てきました。

精神病棟(というよりも下町にある長屋的な病院だが)に撮影に入り、
「健常者」と「障害者」の境目をドキュメンタリーで描いた作品。
http://www.laboratoryx.us/mentaljp/index.php

「面白いか」つまり、ドラマ性があるかないかでいうと、極端なまでに
淡々と患者の独白をノーカットで写していくだけの作品なのでそれはまったくないし、
別に映画を見た後にじーんとなにかが残るわけでもない。

ただ、人が生きる中でつみかさねていく「考え方の軸」「考え方のより所」
をはぐくむ体験のひとつになった。たぶんそういう話がある度に、もしくは
ことある度に、この映画を思い出すと思う。そういう意味では1800円は安い。

面白かったのは、躁うつ病だったり、薬を一日に何十個も飲むような人でも、
インタビューにはまともに答えていたこと。逆に、そこだけ見れば言われなければ
「ちょっと変わっただけの人」にしか写らないこと。

まったく普通に答えている人がリストカットしまくっている傷が残っていたり、
クラスに一人はいそうな「変なやつ」が何度も自殺をコミットしていたり、
なんだか、普通の人ばっかりだった。

ある精神病の患者が、病気になったきっかけとして、
「風船がどんどん膨らんでいって、それがある日、破裂して、そして発病した。」
と答えていた。

普通に共感した。そういう意味では、多かれ少なかれ、誰しも異常であり、
誰しもが大小はあれども自分の中に「風船」を抱えているはず。
それが、クリティカルポイントを超えるか否か。それだけの話。

僕は良くひねくれてると人から言われるけれど、誰しもがひねくれていて、
映画の中に出てくる人はそれがたまたま大きかっただけ。
「境目」は、ない。

映画のタッチのせいなのかなー。「薄皮一枚を隔てるとぜんぜん違った世界」
とか「薄氷の上に立ってるだけ」とかそういう表現が良くあるけど、実はそんなに
ドラマチックですらなく…言ってしまえばさほど変わらない。

映画のサイトに面白いコメントが二つあった。

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想田のカメラは『精神』の深奥に迫ったのだろうか。表層を舐めただけなのだろうか。そもそも深奥も表層も在るのだろうか。精神の呼気が濃度を増してくる。
── やくみつる(漫画家)

したがって、僕が『精神』で行ったのは、この見えざるカーテンを取り払う作業である。固定概念や先入観を極力捨てて、患者や障害者を「弱者」とも「危険な存在」とも決めつけず、かといって賛美もせず、虚心坦懐に彼らの世界を見つめることを第一義とした。
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そもそも深奥も表層も在るのだろうか。
かといって賛美もせず、

この二つのことば。精神を、まるで神聖で賛美すべきものかのように、そして
それはまるで深い底が見えない河かのように「畏怖すべきもの」「理解不明な
もの」としてメディア・世論はとらえている気がするのだが、
実はそうではないのではないだろうか?「深奥も表層」もなく。

この日記を冒頭で読んで、興味を持った人は、「自分の知らない世界が見れるかも」
的な、ある意味エログロに対する好奇心のようなものを持った人がいるかもしれない。「賛美」という言葉に近いような。

でも、実はそれは存在せず、人々の無知とメディアが創り上げた「幻想」に
過ぎず、実は「健常者」も「障害者」もまったく境はなく、
カーテンの向こうには別に変わった世界も、トンでいる世界も存在しない。
純粋が故に壊れてしまった人がいるわけでもなく、少女趣味のような
ゴスロリの世界があるわけでもなく…

一緒にいった友人が、「そんな変わんないよね」といっていたが、そのとおりで、
カーテンの向こうにいた人は、クラスで一人はいる変わっているやつ、
つまりコンプレックスと自尊心と自己顕示欲と愛情を求める心がぐちゃぐちゃに
なっている、そんな人とまったく同じで、そしてそれは健常者だろうが
障害者だろうが程度の差はあれども同じで、どちらもどっちゃにせよ「汚い」。
何も神聖な変わった世界など存在しない。

ただ、「綺麗な部分」と「汚い部分」をごちゃまぜにして
生きている人々がいるだけで。

そこに投影されてしまっている「何か」。それそのものを「障害者」自らもが
投影してしまい、その呪縛から抜け出せない姿が印象的だった。
「自分」を認められないというか。

うーん。うまくまとまんないけど。じんわりこれから今日した体験を
自分の頭のの中で熟成させていこうと思います。

2009/02/11

尖りと怒りと人生と仕事

はじめに:このエントリは見る人が見たら相当ムカつくと思いますが、そう思われた方は
是非対面でディスカッションしましょう。違う考え方大歓迎。
まぁ、クソ長いので最後まで読む人は稀有だと思いますが…笑

■ 尖り
最近、ホント尖りが減ったなぁ、と思う。でも、まだ取り戻せるなぁ、とも感じる。

「そんな考え方もあるよね。」「そんな価値観もあるよね。」
そんな言葉が、昔は一番嫌いだった。最近は、そう言える心の広い自分に満足していた。

この前、会社の同期と飲み、その中でそんな言葉を連発する同期に議論を吹っ掛け、
ちょっと安心した。まだ完全に枯れきってはいない。
(同期は良い迷惑でした…ごめんなさい。)

これを取り戻すために、ちょっと人と本と映画の力を借りようと思う。

■怒り
なんか、ばんばん思考が進む。ブログを書いているうちに、怒りが湧いてきた(笑)
主に自分に対してだけど(笑)、書いてみよう。

どいつもこいつも、飲み会で口を開けば仕事の話ばかりだ。おもに自分。
周りで学生時代に色んな面白いブログを書いていた人たちは、社会人になって
軒並みブログを書かなくなった。自分も含めて。

いや、仕事は大事なんだ。とても大きなマインドシェアを持っていて、また話すに
しかるべき内容があるはずなんだ。でも、ちょっと最近その極端さにうんざりしてきた。
自分含めて。なんで社会人の飲みの会食は仕事の話がメインなんだ。
ところてんとか金太郎飴みたいに、みんなはかったかのようにそればっかりだ。

そしてそこに、自分の人生に対する感情が全く見え隠れしないんだ。
自分自身含め、なぜか他人にも僕はそう感じる。

自分が人生で成し遂げたいことを言わなくなった。自分の恋愛の話だろうが、
日本の変革の話だろうが、自分の趣味の話だろうが、そんな話は一切なくなった。
会社の仕事の話、会社の先輩の話、会社の上司の話、そんなのばかり。自分も含めて。
もちろん、話している内容は良いことばかり。本当にいい会社に就職したと自分でも思う。

だけれども、こうやって、今ブログに書いているみたいに、自分の人生について
色々考える時間もとらずに、何が人生だ。少なくとも僕にとってはそうだ。
正直なところ、仕事は辛いこともあれば楽しいこともある。基本的には楽しい。
色々成長できている。それはとても喜ばしいことだ。
だけれど、ずっと視野狭窄というか、いいしれない息苦しさをずーっと感じている。正直。

自分を常に「仕事をきちんとやるのが大人だ。ここから逃げ出すしたらただのダメ人間だ。
責任と自由。それが大人なんだ。」って言い聞かせてるけど、なんか、
今凄くそんな自分に腹が立ってきた。クソくだらねぇ。

24になった。もう思考は大人だ。僕だって馬鹿じゃない。それくらいはわかる。
だけれども、やっぱり納得できない。おかしいのは僕ではなく、社会じゃないか?
というか実はみんな本や講演会やネットで「今の社会はおかしい」と言ってます。
個人レベルに落ちるとなんて途端にみんな言うことが変わってしまうのだ?

上で僕は自分の感情じゃなくて思考でものごとを考えるようになったっていったけれど、
それは就職活動ちょっと前からで、ひょっとして、結局、社会の枠組みに自分で
自分を洗脳させていったからじゃないのか?

「はっ!洗脳!ありきたりだねぇー。」
これはこう書いた中で出てきた僕の内なる声だ。だけれども、結果的にそうなっていない
と言いきれるだろうか?僕は少し疑問が湧いてきた・・・
自分自身が感情で話さなくなったこと、そしてそもそも自分の人生を本当の意味で
みつめて楽しめるような状態にいないこと。

仕事は、あくまで僕の中では「自分の人生プロジェクト」の一部分だったはずなのに、
もはや全部 overwhelm されてしまっている。周りを見渡しても、正直そう感じる。

社会をこう変えたい、こういう影響を人に与えたい、そんなことばかり
話していた僕はどこにいった?「それが大人になるということなんだよ?」
ん?自分の影響していける範囲をどんどん諦めて、社会から会社、会社から自分の変革へと
結果として、思考を狭めていくことが大人なのか?そのプロセスの過程がどうだろうが、
アウトプットとしてそうなることが、大人になるということなのか?ん~???
それは、どうなんだ?

自分の人生に対する感情、これをひたすら打ち殺していくシステムに僕はいて、
それ自体は悪でもなんでもないと思う。それは、ただそれだけだ。そういうものってことだ。
だけれども、たちの悪いことに、それを今まで僕は自覚していなかったのではないだろうか。

今のところ、まだ、目を泳がせずに、本気で仕事の楽しさ、いやそれを含む
人生の楽しさを熱く嬉々として語ってくれた人はいない気がする。
僕含め、なぜかどこかに常に陰鬱な空気が漂っている。

「24にもなって何を青臭いことを」?いやいや、そうだけれども。
でも現実として、僕の周りは見渡せば、口を開けば、24時間、仕事の話しかしない。
頭の中は常に仕事に対することばかり。うん、何かがおかしい。

百歩譲ろう。仕事の話をさておいても、自分の人生に対する感情が見えない。
感情の起伏が、大学生の頃より確実に一挙にみんな小さくなっていないだろうか?
僕だけか?

こんな話を持ち出すと、たいてい嫌がられると思う。とりあえず、自分のこの考えを
今後色々な人にぶつけてみようとは思うけど、想定されるのはこんな回答。なんでだろう?
「なんか青臭いねぇ。そんなことよりさ、聞いてよ、仕事が難しくてさ~。」
「ふーん。色々考えてるねぇ、相変わらず。そんなことよりさ、聞いてよ、上司がさ~。」

それか他の話題でも、なぜかうわの空。少なくとも僕は、仕事以外の話をしている時は
「今本当の自分の関心事項を話していないな」といううわの空状態で話し、聞いている。

あれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!??????
大学時代はあんなにいろいろな話していたのに?好きな人の話とか、趣味の話とか、
サークルの話とか、授業の話とか、昨日見た何々の話とか、そしてたまに熱が入ったら
自分が人生でもたらしたい変化とか、社会はこう違うと思う!なんていう話をしてたのに?
仕事の話とか、就職の話とか、全然むしろみんなしなかったのに?
一年たつとみんな一様にそれ?ていうかむしろ俺?

それが社会に出るということ?あれ?それって本来の自分の在り方なの?
本来の自分の在り方をどんどんどんどん社会の在り方に合わせて皆自主的に矯正してない?
ていうかむしろ俺?なんか、つまんないよ!俺つまんないつまんない!

もちろんこれからも仕事には前向きに力を入れていく。楽しい。やりがいもある。
だけれども、なぜこうもここまで「仕事」というものが自分の頭を、体を、
思考を、感情を、さも当然かのように乗っ取り、陣取り、自分の領土を主張し、
それをどんどん肥大化させているのだ?なぜ2008年4月1日以来僕は仕事以外のすべての
ことがらを「うわの空」「仕事以外の人生のオプション」というスタンスで
聞くようになったのだ?

こうやって今ここにブログを書いているみたいに、色々と思考を積み重ねること。
こんなこと、断片的にしか久しくやってこなかった。

他の人にとってどうかはわからないけれど、こうやってブログを書くことは、
以前は自分の人生にとってとても重要で、貴重で、ひとつのクオリティタイムだった。
それがいまや、仕事、仕事、仕事。

なにかが根本的に本末転倒になっている気がする。
自分の人生という全体の大きな枠組みの中で、自分本来の生き方に対して、
仕事に関する何かが大きく肥大化して、それを阻害している気がする。

マインドシェアが仕事ばっかりだ。これ、いつかは終わると信じていたけれど、
ひょっとして終わらないんじゃね。根本的にいつまでも。いつか持つ自分の伴侶、
自分の家族、自分の人生で成し遂げたいこと、これらが「会社VSその他」という構図に
なってしまうんじゃないだろうか・・・なんか違う気がする。どっちも自分の
人生の「プロジェクト」のうちのひとつであり、優先順位はもう少しバランスがとれる
はずなんだ。なんか、余り時間に必死に会社以外の自分の人生プロジェクトを
押し込んで、こなしている人が多い気がするのは、僕だけだろうか。

なんかおかしいなー。おかしいのは僕か。僕だけか。

■ 「怒り」に対する結論
・ ひとまず、思考で会話することをやめる。感情のまま。等身大で。
  なんで最高の親友・そして彼女に対してまで頭で会話してるんだ。ちょっとおかしいわ。
  就職活動以来ずっとそうだったけど、今やっとなんかふっきれた。
  会社にたいしても、仕事に対しても、ある程度感情のまま、等身大で臨むべきだ。
  バカになろう。思考はツールだ。僕ではない。僕自身は、感情だ。
・ 仕事は、それを内包する人生の一部でしかないことを明確に意識する。
  その意識のもと、明確な優先順位付けと行動を行う。そうしないと、おそらく
  一生「仕事VS人生」という構図に飲み込まれたまま、それが肥大するだけだわ。
  多分、いつか変わると思ってたらそのまんまな気がするわ。

以上、全て僕の独断と偏見の個人的な見解です。「怒り」の章は根本的には
すべて自分に対して書いていますので、どうか悪しからず。

それではまたそのうちに。やっぱブログは定期的に書かないと、頭動かせないね。

2009/02/10

近況と今後:とりあえずやること

■ 関西に帰郷
ここ五日間、関西に帰郷しておりました。
有給休暇を使わせてくれた上司に感謝しつつ…

昼まで寝て、夕方から誰かしらと会食をし、終電近くまで話し込み、
夜には彼女と会って色々話をし、というとてもステキなルーチン生活でした。

■ 会社の最近
めき、めき、と音をたててプロジェクトが進行しており、それに伴いいわゆる
自分自身のリーダーシップについても、大学時代には考えることもできなかったような
成長と問題の発見の連続です。めき、めき、と小さいながらも音を立てて成長しております。
というよりも、少しずつ崖に追いやられていっている感覚。
まだ自分なりのスタイルを維持しておりますが、もうすぐ立ち行かなくなることも
目に見えている。その時の変革の材料がどんどんどんどん積み上げられています。
マゾとしては最高に楽しいっす。日々の業務は相変わらず泥臭い部分も多いですが、
あまり嫌にならなくなってきました。

■ 会食の毎日
関西では、ありがたい事に毎晩誰かと飯を食べることができました。
大学生の起業話を聞き、高校生のお寺修行の話を聞き、大学仲間の不動産業界の話を聞き、
彼女の仕事の話を聞き、後輩の起業と世界の変革にかける想いを聞き、後輩の
就職活動の話を聞き、とても刺激に充ち溢れた五日間でした。

夢と欲望と現実と日常、その中でみんなそれぞれにそれぞれの価値観を持ち、
自分の人生を必死に過ごしている方達ばかりで、そんなステキな友人を持てたことに感謝。

■ 自分の原動力について
色々な方々と会食をしつつ、自分の中でもやもやしたものがあったり、火がついたり、
燻った自分に対するイライラがあったり、このあたりを自分で色々考えていたのですが…
自分の原動力についてシンプルにステートメントに落とし込みました。

WHAT 自分のエンジン:
 人の価値観を変える。圧倒的な津波が起きたかのように。
 そして新しい「何らかの目覚め」を明確に彼らに残し、新しい人生を歩んでもらう。

 「なにユルいことやってんねーん!」「ドドドドドドッー!(津波の音(笑))」
 そして圧倒的なパワーを持ってして彼らの価値観を変革する。
 そして彼らは思う、「すげぇ…」「俺にもなれる…できる…」そして行動を始める。
 その時点で僕は満足する。

HOW どのように動かすのか:
 この僕が起こす津波は彼、彼女らにとって圧倒的に異質な世界のものであること。
 これが条件。そうすればそれだけ感動と興奮が大きいから。
 その為に、僕がその異質な世界をたくさん持てるだけ持っておくこと。
 これが僕のエンジンのガソリンとなる。その為の人であり、本であり、行動。

WHY なぜそう思うのか
 自分自身がそうだったから。圧倒的に違う異質なものに触れ、自分の価値観が
 変革した時の感動と興奮が忘れられないから。

■ 感情と思考
なんてことを上に書きつつも、最近人事の方とのセッションの中で、自分の決定的に
致命的な部分が見えてきた。上に書いたこととはまったく正反対なのだけど。

現象:
・ 熱を持って、自分のやりたいことを「やりたい!」と言えない。
・ そもそも自分のやりたいことが「湧き上がってこない。」
・ というかそもそも話さない。話している最中は常に「話をしている自分」に
  罪悪感を覚える

原因
・ 自分の話は、所詮誰も興味がないと思っている(本当に底の底の部分で)
・ たくさんのことを諦めている(どうせ変わらない、どうせ興味ない)
・ 感情を思考で抑制し、説明し、制御する癖が身に付いている(もう多分三年くらい)
・ 自分はオス猿から脱却するために話をするのではなく聞くべきだと思っている。

■ 今後のプラン
なんというか…正直自分についてこの一年は悩みすぎた感がある。(自分の悪い部分)
上の原因をまた論理的に分解して、その為の解決策を頭で考えることはもう何百回と
してきたが、それでは根本的になにも変わらない。ので、ここでは書かない。

ただ、幸いにも、少しずつハードルをあげ、外の世界にまた出始めた。

・ 人は環境に絶対的に左右される、ということは長年の経験から真理だと思っている。
・ ごちゃごちゃ自分について悩むことは、長年の経験からひとつも自分にとっては
  もはやプラスをもたらさないことを知っている。

ので、こうやって頭でごちゃごちゃ考える暇もないような、刺激と興奮と行動性に
充ち溢れた世界にもうすぐ強制的にダイブしなければならないように自分を動かした。

・ ちょっとプライベートで面白いスクールに通うことにした
・ ちょっとプライぺートで面白いプロジェクトをやることにした

ので、またそれはそれで書きます。

2009/01/10

マーケティングの勉強を始める方へ、独断と偏見でオススメ

後輩から、マーケティングについてお勧めの本はありますか?というメールが来た。
メールで返そうと思ったのだけど、せっかくだからブログに書いてしまいます。

(※)これを読めばマーケターとして!みたいなことは全く言えません。
   むしろ読んだ本の中で個人的に面白かった本だけを紹介しているので、
   マーケターからしたら「は?ピキピキ(#^ω^)」みたいな内容です。
   そもそもマーケティングって、結構終わりが見えないものだなぁと感じています。
   なので、あくまで入口の本のオススメとしてとらえてください。
   あしからず。

序.はじめに
1.マーケティング全般を理解するために
2.ブランディングについて理解するために
3.マーケティング(含その他)の最近の理論を理解するために
4.お薦めランク別
5.蛇足

序.はじめに

「マーケティング」という言葉ほど人によって定義が違う言葉はなかなかビジネスでも少ないと思います。
ある人はそれを「マスコミュニケーション」ととらえたり、「経営戦略そのもの」ととらえたり、
「消費者の頭の中に価値を生み出すことだ」ととらえたり、「差別化すること」だととらえたり、
「ブランディング」だととらえたり、「製品開発」ととらえたりします。
なので、僕が紹介する本も一部分に隔たっています。僕は高校の時に、同級生のあまりにも多くが
ルイ・ヴィトンの財布を持っていたことを不思議に思い、そこから「ブランディング」ひいては
「マーケティング」に興味を持つようになりました。
マーケティングはマーケティングで独立して語られるべきかもしれませんし、経営というそれを含有する
概念を持ってして語られるべきものかもしれませんが、

とにかく、このエントリはあくまで、
「経営戦略という概念と限りなく近くイコールで結ばれているマーケティングという概念の中で、
 そこで強いコア・コンピテンシーを作り出していく為の手法のひとつであるブランディングは、
 企業経営にとってはなくてはならないものである」
という考え方の下に、マーケティングを勉強した僕の独断と偏見に満ちた本紹介エントリです。
あしからず。

1.マーケティング全般を理解するために

いわゆる、教科書的な、古典的な本を読んで、マーケティングというものをできるだけ
大きく広く理解したいのであれば、やっぱり Philip.Kotler. いわずとしれたマーケティングの権威。

そしてそのマーケティングをより大きな視点、すなわち経営戦略から俯瞰する形での企業経営を
理解するために、Michael.E.Porter を読めば、ざっくりした部分をつかむことができます。

少し両者を齧れば、両者が切っても切り離せない関係であることはすぐに理解できると思います。
でも、ポーターは面白かったのですが、コトラーは、教科書的で僕はあんまり面白くありませんでした…
というか、いわゆる本当に基礎の基礎となるものなので、結構そこかしこで耳にする機会が多いはず…?

いわゆる、下記のような概念をしっかり勉強したい人は、下に進める本を読むべし。と思う。

・ マーケティングの環境分析(1Research)ー3C分析、5F分析、VALUECHAIN、PLCなど
・ 市場機会の発見(2Research)ーSWOT分析など
・ セグメンテーション(Segmentation)
・ ターゲティング(Targeting)
・ ポジショニング(Positioning)ーコストリーダーシップ戦略、差別化戦略など
・ マーケティングミックス(MarketingMix)ー4P、7P戦略など
・ 実行(Implementation)ーAIDMA理論、PUSH/PULL戦略など
・ コントロール(Control)

コトラーとポーターを混ぜ混ぜにしてます(その道の人に見られたら怒られそうだ…)ので、
ひとつひとつの概念についてはググってみてください。でも、正直なところ、大変だから、
まずは「MBAマーケティング」でさらっと勉強しておくくらいでもいいかもしれません。
楽しくなってきたら、ということで。

お薦めとしては、ビジネスコンテストなどに参加し、実践の中でフレームワークを使用していくのが
最も早く自分の中に感覚を叩きこめる方法だと思います。
結論として、このあたりに関する理解を促進するためのお勧め書籍は以下の通り。
後はアマゾンで関連書籍がいくらでもバンバン出てきますので。

コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント 第12版
新版MBAマーケティング
競争の戦略

2.ブランディングについて理解するために

さてさて「ブランディング」。スターバックスが売れる訳、アップルが人気な訳、マクドナルド
が人気な訳、コカコーラとペプシの価値の違い、ルィ・ヴィトンが日本で圧倒的な訳…
このあたりのキーワードに反応する人は、僕と同じクチかも知れません。
なので、以下の本でブランディングをカジるのは面白いかも。

ブランディングを体系的に理解するために役に立ったのは、デービット・A・アーカーの
・ ブランド優位の戦略―顧客を創造するBIの開発と実践
・ ブランド・エクイティ戦略―競争優位をつくりだす名前、シンボル、スローガン
いわゆる、ブランドロイヤリティとか、ブランドエクイティがいかに構築されていくか、
が豊富なケースと共に載ってる。オススメとしては、上のアーカーの著書を読みつつ、
・ ステファヌ・マルシャン高級ブランド戦争―ヴィトンとグッチの華麗なる戦い
を読むこと。熾烈な高級ブランドの戦いが、かなりのハイスピードでリアルに描かれていて、
かなり興奮します。

・ 心脳マーケティング 顧客の無意識を解き明かす Harvard Business School Press
これに加えて、心脳マーケティングは、ブランドのコア・バリューという曖昧なものを
いかにして消費者にコミュニケートしていくか、かなり細かくかかれていて面白い。
特に、ブランドバリューのコア・メタファーとコミュニケーションについての章は、心理学を
少しかじってると納得できる内容がたくさん出てきて面白いです。

あと、ちょっと蛇足ですが、マーケティングの対象であるターゲットも、やはりマーケティングから
切っても切り離せない関係ですから、哲学・社会学をやるのも面白いかもしれませんよ。
ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」とか、最近のところでは東浩紀とか。

3.マーケティング(含その他)の最近の理論を理解するために

(※)最近の理論、といってもコトラーやポーター以降の、それぞれ独立した領域について
   面白かったと思ったものをとりあげます。

A. いわゆる「バズ(口コミ)・マーケティング」関連

最も面白かったのは、『ワシントン・ポスト』紙の記者を経て、雑誌『ニューヨーカー』などに
コラムを執筆しているマルコム・グラッドウェルによる
・ ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか
あるアイデアや流行が、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間を
「ティッピング・ポイント」として、そんな現象を社会学的アプローチ、マーケティングアプローチ
含めて解説しているのだけど、この本の事例と理論のバランスが秀逸で、とても楽しく読める本。
お勧めです。ここで「どうすれば、ある製品はマニアの層を超えて一般へ広がってくれるのか?」
というところに興味がわけば、ジェフリー・ムーアの以下がオススメです。こっちも面白い。
・ キャズム

B. 経営戦略とマーケティング

マーケティングというより、企業経営の中でのマーケティングをとらえる、という意味で、
・ クレイトン・クリスティンセン イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
は、定番ですが、絶対におさえておくべき本だと思います。
マーケティング含め、ビジネス書においても今まで読んだ中でダントツでした。
・ コトラーが提唱したこれまでのマーケティングの市場細分化プロセスにどのような問題点があり、
これまでの手法では顧客の解決したい「用事」を見落としてしまう可能性があること、
それを防ぐためには顧客の「属性」ではなく「状況」に着目する必要があること、というチャプター
・ 顧客のニーズが十分に満たされていないときと、十分以上に満たされた結果、
製品の過剰供給が起こり、その結果、価格帯での「コモディティ」勝負に突入するときと、
企業は、自社製品がそのどちらにあるかを見極めなければいけない。
そこでとる戦略が変わってくる、というチャプター
このふたつのチャプターは最高に知的興奮でした。面白い。

4.お薦めランク別

という感じで、ジャンルも種類もバラバラに、個人的に好きなマーケティング関連の書籍をちょろっと
紹介させていただきました。マーケティングを学ぶ為にどの本を読むべきかは上で判断してもらうとして、
個人的に面白かった本を順番に並べるので、ご参考までに。

・ クレイトン・クリスティンセン イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
・ マルコム・グラッドウェルティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか
・ ステファヌ・マルシャン高級ブランド戦争―ヴィトンとグッチの華麗なる戦い
・ ジェラルド・ザルトマン心脳マーケティング 顧客の無意識を解き明かす Harvard Business School Press
・ ジェフリー・ムーアキャズム
・ グロービス・インスティテュート新版MBAマーケティング
・ デービット・A・アーカーブランド優位の戦略―顧客を創造するBIの開発と実践
・ デービット・A・アーカーブランド・エクイティ戦略―競争優位をつくりだす名前、シンボル、スローガン
・ マイケル・ポーター競争の戦略
・ フィリップ・コトラーコトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント 第12版

5.蛇足

でも、結局、会社でマーケティングの実践そのものに触れてみると、そんなのよりもずっとずっとずっと
泥臭く必死に必死に必死に消費者の頭の中を探っていく作業の連続だなぁ、と感じています。
マーケティングを勉強する事は大事だし、「なるほど、本で読んだこの部分は実際にはこういうように
運営されていくのか!」と感心しきりすることもありますが、一年目の新卒社会人だとなっかなか
本で得た知識は微塵も役に立ちませんね…別にいいんですが。
下手にマーケティングの知識があることにプライドを持っちゃう人があまりにも多いために、
新卒の上司の最初の三か月のミッションは「新卒の鼻を叩き折ること」といわれている(噂ですが)
某世界的有名マーケティング企業の例もある事だから、実践を通して学ぶのが一番効率が良くて、
学生の間はもっと地頭の練習とかに時間を使った方がいいのかもしれませんね。

て、マーケティングを卒論のテーマにした俺がいうのもなんですが。ぷーん。